青年期の記憶



こんにちわ 新名です。

久々に自分のことを書いてみます。

小学3年生からは大阪府枚方市の市営団地に引っ越しました。そこで中学生まで過ごしています。そのころは「ビーダン」と呼んでいたビー玉を使って、地面に穴を掘り、数人が自分の持ち球を出し合って、ある線から穴に投げて、ほかのメンバーが指定した玉を打ち抜けば、全ての玉をゲットできるという遊びや「ベッタン」というメンコを裏返してこれまたゲットする遊びに夢中になっていたと思います。また地区のソフトボールや軟式野球にも参加して楽しいときを過ごしていました。

中学生になるとバスケットボール部に入部しましたが、球技というか、どうもチームプレーは苦手であったため、選抜メンバーには入れずじまいでした。ですが、そのころ友人の影響で読書をする習慣が出来て、いろんな書物を読んでいました。ほとんどが小説でしたが、本を通じて世の中が少しわかりかけてきたように感じていました。

高等学校に入ってからは、何か世の中の役に立つ仕事がしたいと思い(というか漫画「ブラックジャック」を読んで単純の「医者になろう」と考えただけ)、1年生から受験勉強をしていました。2年生になったある日、枚方市駅の近くでその後数年にわたって生き方を変えた運命の出会いがありました。ここでは詳細は話せませんが、それが原因で高等学校を中途退学し、家を出て(家出?)、ほかの世界で約3年を過ごしています。この世界がそれから人生を大きく変えた衝撃の3年間となりました。今でもその過酷かつ充実した経験は脳裏から離れることはありません。

空白の3年間を卒業(挫折)した後、反対した親に頭を下げて、帰宅し人生を再度やり直すこととなりました。

すでに年齢は20才でした。ここから何をするか?と少しだけ考えて、やはり学歴をつけようと思い、近所の木工工場でアルバイトしながら高等学校の卒業資格の大学入学資格検定試験を受験し、何とか合格したので、腕試しのつもりで神戸商船大学・原子動力学科を受験しました。結果、合格したのでビックリしましたが、悩んだ末入学することになりました。(本当は翌年にお金を貯めて弘前大学医学部を受験予定でした)神戸商船大学で少し多め(5年)の学生生活を過ごして、大阪熊取町に工場がある原子燃料工業熊取製造所に入社しました。   続く