社会人になった



みなさん こんにちわ 新名です。

私のことを出来るだけ正確に記載しようと記憶を整理していますが、やはり過去のことですから、今の自分が都合のいいように解釈しているんだな~と思います。

さて、こんな個人的なことを読む方がいるかは定かではありませんが、ある意味、断捨離のような整理のつもりで、書き続けたいと思います。

今回は、社会人1年生といってもすでに27才になっていましたが、特殊な機械加工品である原子燃料の設計・製造を行う専業メーカーに就職しました。仕事の中身は今でも守秘義務があるため詳細には記載できませんが、その当時の状況や取り組みについて書いてみます。

私が配属された部署は主な稼ぎ頭の原子燃料の設計・製造ではなく、原子力発電所の周辺機器等のサービス事業を行う部署でした。ですから、何を主力商品(製品)にするかという点が、その部署ではまだまだ定まっていなかったと思います。当時の原子燃料工業は国内の主要大学の原子力出身者が多くいて専門的な頭脳集団でした。ただし、個々の技術力はかなり高度でしたが、それをチームとして出力することが不得手であったと思います。そのような中、あるサービスを発電所で実施していたものが、現地でトラブルが発生した時に、私が呼ばれました。最初は、何が何だかわからない中で目標を立てて、実験する毎日が続きました。やっている内に、そのサービスの目標が何か?、問題は何か?解決のための方法は何か?という実験計画を立案して、実験レベルでの検証からモックアップ試験(実物とほぼ同じ環境でのテスト)を繰り返して、そのサービスを完成させて、他のプラントにも同じサービスを売り込むことに成功しました。何とか一段落した時に、また呼ばれて「次の仕事」のお題を渡されました。それは、原子燃料をアクセルとすると、ブレーキの相当する「制御棒」と言われるものの設計業務でした。ただし、型の異なるものは既に開発されていましたので、その開発手法を模倣して、設計図書にし、許認可を取得するというものでした。ここでは、1つ1つの文書の妥当性を社内文書で明確にしてその結果を対外文書に落とし込むという繰り返しを行っていました。なかなか、地味ですが物つくりの大切な部分を学べたと思います。 (次回に続く)